Bright Maker



 聞こえていたのは、夜の街に響く軽快な音楽。
 コンクリートを踏み鳴らす靴音。
 自分の居場所を見つけられなかった、あの頃。


     1

「かおり、今日はもう終わりだって聖が言ってるぞ」
 夜の十一時。仲間の一人、タカがラジカセを持ち上げながら言った。
 七月上旬。まだ熱帯夜というほどの暑さではないが、一時間以上踊りっぱなしだった体は熱っている。
「あ、そ。じゃ、帰る用意するね」
 ベンチに腰掛けて新発売のスポーツドリンクを飲んでいた藍見かおりは、そちらを振り返って軽い口調で答えると、またそれを少し口に含んだ。
 喉から全身へ。
 熱を持った体に、じわじわとスポーツドリンクの冷たさが浸透していく。
(この瞬間がなんとなく幸せ)
 ダンスを終えた後の心地よい疲労感が、今日も一日頑張った、という満足感を与えてくれるのだ。
 今いる場所は駅前の広場。かおりと聖、タカ、ケン、コウタの四人は、二日に一度くらいここでダンスを踊っている。昼間は人々の笑い声が絶えないここも、夜には違う印象を与えている。
 広場の所々に設置された街灯の白っぽい光がコンクリートの地面を薄明るく照らし出し、かおり達の影を映し出す。
(ほんと、あたし達にぴったりなところ)
 光の中から弾き出された“はずれ者”の場所なのだ、ここは。
 かおりは荷物をバックにしまって、空になったペットボトルを、少し離れたところにある今にもごみが溢れそうになっているごみ箱に放り投げた。
 上手く入らず、ふちに当たって跳ね返る。カランカランという音を響かせて転がるペットボトル。
(はー、なんか嫌になるなぁ)
 何だかむしゃくしゃする。おもしろくない。
「かおり! さっさとしねーと置いてくぞ!」
「わかってるって! 今行くから」
 ブランドものの黒いエナメルのバックを掴むと、かおりはみんなのもとへバタバタと走って行った。
 
「な、カラオケ行こーぜ、カラオケ」
 五人で喋りながら大通りを歩いている時、ズボンのポケットから取り出したタバコにライターで火をつけながらタカが言った。
 吐き出される煙。人体には有害。でもこれは必需品。
「あ、いーじゃん。俺、歌いまくろー」
 タオルで流れる汗を拭きながら、コウタがすぐに賛同した。
「俺も参加っと。聖とかおりも行くだろ?」
「もちろん行くって。当たり前じゃん」
「あたしももち参加」
 ケンの問いにかおりと聖は笑いながら答えた。
(どうせ反対する奴なんかいないんだから)
 これはいつものパターン。五人の中でのお決まりのプラン。
 とても楽しく、少しおかしな世界。ここがかおりの居場所だった。

 ――かおりと聖、タカ、ケン、コウタは皆中三、世間で言われる受験生だ。かおりと四人は三ヶ月ほど前にあるゲームセンターで出会った。かおりが強引にナンパしてきた男達に絡まれているところを、四人が助けたのがきっかけだ。女一人に男四人。しかも、かおりは少し茶色がかった肩ぐらいの長さの綺麗な髪に、他者を寄せ付けまいとする冷たさをも感じさせる、とても綺麗な顔をしていた。そのため、かおりはこのグループのマドンナ的存在だった。

「な、次おまえが歌えよ。おまえ、すっげぇ歌上手いんだからさ」
 行きつけの安いカラオケで、シャンパンを飲んで少し酔っ払ったケンが、かおりにマイクを渡してきた。茶髪にピアスにお酒にタバコ。どれも、中学生であるかおり達には許されていないことだ。でもこれも、かおり達にとってはあたり前の日常の一部。
「え、いいけど。何かリクエストある?」
 かおりは食べていたフライドポテトを、シャンパンやフライドチキン、サラダなどが散乱しているテーブルに置いて答えた。
「じゃ、美里の新曲歌えよ。俺、あの歌、色っぽくてすげー好き」
「オッケー」
 かおりはケンに軽くウインクして立ち上がると、番号を入力し、マイク片手に歌い始めた。
 綺麗な、不思議な透明感のある、澄んだ歌声で。心を込めて。
 かおりが歌っている間、他の四人は自然に話をやめ、かおりの歌に聞き入っていた。
「……おまえさ、ほんと歌上手いよな」
 歌い終えたかおりに、少し俯きながらケンがぽつりと言った。
 毎回、ケンはかおりの歌を聞くと思う。かおりは普通ではないと。飛び抜けた才能を隠しているのではないかと。本当に、こんなところにいるべき人物なのだろうかと。
「俺も同感! 下手でブスなアイドルよりずっとイケてるよな。デビューとかしちまえば?」
 コウタがあはははと笑いながら言った。タカも笑いながらうんうんとうなずく。聖は何も言わず、ただそんな様子を見ている。
「ありがと」
 かおりは少し悲しそうな笑顔で言った。

「な、ちょっち待っててくれよ、タバコとビール買ってくるから」
 深夜二時。カラオケの帰り、他の四人がコンビニに寄ると言うので、かおりはコンビニの外のベンチに座って一人待っていた。
 深夜営業の店のライトが明るい。目立つのはキャバクラや居酒屋の看板だ。普段はまともな店の隣で奇妙な目で皆に見られるのに、夜になると輝きだす場所。ここには夜に生きる人がたくさんいる。自分がおかしいと思わなくてすむ。ほっとすることが出来る。
「うっわ、超可愛いー!」
 はっと気づくと、高校生か大学生ぐらいの男達が何人か、にやにやした顔で近づいて来ようとしていた。
 明らかにまともそうではない、どこか壊れた感じの。
(何こいつら……)
「なんか用?」
 かおりは男達を軽くにらんで聞いた。何が目的で声をかけてきたのかなど明白だったが。
「ね、君さー、俺らと遊ばねー? どっかバイクで行こーぜ?」
 色あせた金髪を外側にツンツンとはねさせ、鼻ピアスをした男が聞いてきた。
(はー、いい加減にしてよね)
 かおりは心の中で深いため息をついた。
「生憎、暇じゃないのよ」
「は? 暇じゃないだって?」
 ははははと男達が笑った。かおりはその笑い方が、ひどく癇に障った。
「バカなこと言うなよ。んなまともに生きてる奴が、こんな時間にこんな場所にいるわけねーじゃん」
「そーそー。絶対面白いから来いって」
 一人がかおりの手をぐいっと引っ張りベンチから無理やり立たせた。
「やめてよっ! 暇じゃないっつってんでしょ?」
 かおりはその手を振り払おうとしながら少し大きな声で言った。
「なに? 叫べば誰か助けてくれるって?」
 また男達がははははと笑った。
(んなこと思っちゃいないわよ)
 かおりは冷めた目で男達を見て思った。
 誰も助けてくれない事くらい過去の経験で知っている。皆見てみぬフリをするのだ。他人がどうなろうと知ったこっちゃない。
 結局、大事なのは自分。
(ま、中には例外もいたけどね)
 こういうことは初めてではないし、対処法も一応知っている。でも今回は人数が多すぎた。コンビニを振り返っても、皆はこの事態に気づいていないようだ。
(ちょっとまずいかな……)
 このままこいつらについて行くのなど、絶対にごめんだった。
 どうするべきか。
(ちっ。久しぶりにこれ使うしかないかな)
 かおりが男達に気づかれないようにバックにそおっと手を伸ばした、その時。
「かおりっ! もう、探したんだから。家に帰りましょ」
(え?)
 声のした方を見ると、三十代後半から四十代前半くらいの社長婦人ぽい雰囲気を持った女の人が、ちょっと怒ったような顔をしてかおりを見ていた。
(誰? この人……)
 見たことのない人だ。自分とは関係のないはずの人。でも、相手はかおりのことを知っている。どこかで会ったのを忘れているのだろうか? いや、そんなことはないはずだ。
「さっ、早く。帰るわよ」
 相手はかおりの動揺などお構いなしにそんなことを言ってくる。男達も突然の第三者の出現に驚いて動けないでいる。
 どうしたらいいのかとかおりが考えたその時、パチン、と女の人がかおりを見ながらウインクをした。
(えっ? あ!)
 次の瞬間、かおりは目の前に立つ男達の真ん中にダッシュで突っ込んだ。バックから取り出したスタンガンを持って。
「ん? わあっ!」
「ぎゃっ」
 いきなりの急展開に戸惑う男達の間を、かおりは驚異的な速さで駆け抜けた。
 後方でスタンガンに当たった男達の悲鳴が聞こえたが、かおりは振り向かずにその場から走り去った。

「はー……」
 コンビニから二百メートルほど離れて、かおりは少し塗料がはげている公園のベンチにもたれかかった。全速力で走ったが息は切れていない。
 耳を澄ましたが足音などは特に聞こえてこない。どうやら男達は追ってきていないようだ。
(良かった、逃げ切れて)
 かおりはバックから携帯を取り出すと、ケンの番号を迷わずプッシュした。普段は料金が高いからメールしかしない。でも今は、電話をした方がいい気がした。
「もしもし?」
 ケンは一コールで出た。
「あたしだけど」
「かおり? 今、どこにいるんだ?」
「コンビニから少し離れたところ」
「ふーん。てことは、コンビニの前でなんか騒ぎがあったってのもおまえ関係?」
「そう」
 かおりは何があったのか一発で見抜いたケンに答えた。
「やっぱそうじゃないかと思ったんだよなー。で、もちろん無事だろ?」
「あたり前じゃない。あたしがそう簡単にどうにかなると思ってるわけ?」
「まさか。おまえがどれだけ強いかは経験済み」
 ケンは以前冗談でかおりに迫って殴られた事があるのだ。
「で、俺ら迎えに行こうか? こっちまだごたごたしてるし」
「……ごめん。あたし疲れたから先に帰る。また、いつもの場所でね」
「そっか。じゃな」
 携帯を切ってかおりはベンチに座った。みんなのところに戻る気はしなかった。
 いつもそうだ。みんなといるととても楽しいのに、一人になると、自分は何かを間違えているのではないかと不安になる。
 自分の居場所はここではないのではないかと。
 たくさんのものから自分は逃げている。ずっと逃げつづけていたら、一体自分はどうなってしまうのだろう。
 逃げて逃げて逃げて。時折狂いそうになる。やるべき事をこなせない、こなさない自分自身に。幸せになれない自分に。
「!!」
 人の気配を感じ、かおりははっと後ろを振り向いた。とても素早く。そして、立っている人物を目にして困惑した。
「こんばんは。探したわよ、走るの速いんですもの」 
 さっき会った女性が微笑を浮かべて言った。
(何なのよ、この人……)
「あんた、誰?」
 かおりは警戒して言った。
「私は鈴鐘千沙都」
 相手は笑顔のまま答えた。
(鈴鐘……千沙都?)
「私はある学校の理事長をしているの。藍見かおりさん、あなたにぜひうちの学校に入ってもらいたくてスカウトしに来たのよ」
「え……?」
 かおりは話が飲み込めずに聞き返した。
「藍見かおりさん、ぜひうちの学校に入って」
 女性は繰り返した。
 かおりはすぐに言葉を返すことが出来なかった。
(スカウト……? うちの学校に入れ……? 何言ってんの、この人)
 次の瞬間、かおりは大声で笑い出した。
「あははははっっ!! あんた何バカなこと言ってんの?」
 かおりは相手をバカにしたような笑みを顔に浮かべて言った。
「あんたが誰なのかはよくわかんないけど、あたしなんかをスカウトしに来るなんて、ほんとバカじゃないの? あたしにはそんなとこ入る気も、入る価値も全然ないわよ!」
 そんなかおりを見て、女性は困った顔などひとつもせずに毅然と言った。
「そんなことはないわ。あなたは素晴らしい輝きを内に秘めている。ただそれを表に出す事に、少し臆病になっているだけ」
「え……?」
 かおりはぴたっと笑うのを止めた。
「あんた、な、何言ってんのよ?!」
 そして、顔を引きつらせたまま声を荒げて言った。
 そんなかおりに女性は静かに言った。
「かおりさん。あなたは可能性を持った人、輝ける人なのよ。あなた自身、それをわかっているんでしょう?」
 かおりは唇を噛んだ。
(やめてよ、聞きたくない)
 体が、心が、聞くことを拒否する。
 かおりはその場から走って逃げ出した。
 全速力で走る中、待っているから、という声を背中で受けた。

 家の前まで走ってかおりは立ち止まった。
 深呼吸一つ。そして、ドアのノブに手をかけてゆっくりと回す。カチャッと小さな音を立てて開くドア。
「かおりちゃん……?」
 かおりが家の中に入ったのと同時に二階から声がした。母親の声が。
(また、起きてたわけ?)
「こんな時間まで、何してたの……?」
 母親がか細い声で聞いてくる。
「……別に」
 かおりは母親から目を反らして答えた。
「うそ!」
 母親は急に声を荒げた。
「また髪を染めてピアスしてタバコ吸ってるような子達と一緒だったんでしょっ?! そうなんでしょっ?! 本当の事を教えて! ねぇ、かおりちゃん?!」
 母親は悲痛な声で言ってくる。
(また……泣くつもり?)
 かおりはそんな母親を冷めた目で見て思った。
「ねぇ、いつからそんな子になっちゃったの? ねぇ、お母さんの育て方が悪かったの?!」
 狂ったように泣き叫ぶ母親。そして最後に。
「ねぇ、お願いだから前のかおりちゃんに戻って!」
 母親はそう叫ぶと泣き崩れた。
 かおりは母親を見ないようにして階段をかけ上り、自室に入るとドアを閉めた。
(……!!)
 いつも、こうだ。母親を悲しませているのは自分。
“前のように戻って!”。母親の言葉が頭から離れない。
 そう、前の自分はこんなではなかった――。

「かおりちゃんはすごい子だ」
 会う人はみんなそう言った。かおりは何でもよく出来る子だった。
 運動神経は抜群。他の子に出来てかおりに出来ない事は一つもなかった。記憶力も天才的に良かった。勉強ももちろん良く出来た。絵を描いても歌を歌っても人より上手かった。
 けれど、そんな自分を特別に思う事はなかった。
 母親はかおりを周り中の人に自慢したが、それを聞いた人も確かにかおりはすごいと納得したし、かおりは明るく素直な子だったのでみんなに気に入られた。
 友達もたくさんいて毎日がとても楽しかった。ずっとこんな日々が続くと思っていた。
 ――しかし、中学に入って日常は変わった。
 一年の時は小学校の時と同様に楽しかった。クラスでは委員長をしていたし、バスケ部では入部と同時に即レギュラーの座を獲得した。
 けれど、二年になったある日、誰かが言った一言ですべては変わった。
「藍見かおりは何でもよく出来すぎて気味が悪い」
 その日を境に、かおりの周りから人がだんだんと離れていった。
(一体、何が起こったの?)
 かおりは何が起こったのか理解できずに苦しんだ。
 そんなかおりに、一番の親友だった亜美が言った。
「かおりといると、自分がすごく惨めに思えるんだよね」
 ショックを受けた。自分が友達に嫌な思いをさせていたのなど知らなかった。
 それから、テストでいい成績を収めても運動でいい記録を出しても、嬉しいと思う事はなくなった。欲しかったのはそんなものではなくて、喜びを分かち合える友達だった。
 そして、二年の半ば頃から学校に通わなくなった。居場所のないところに行きつづける勇気はなかった。
 それがちょうど父親が単身赴任となった時期と重なったためか、母親は家にいるかおりを見ては、ヒステリックに自分のせいなのか、とわめくようになった。そんな家にいるのが嫌で、かおりは街に出るようになった。
 昼も夜も遊び歩いた。万引きも飲酒も喫煙も何でもした。ただ、クスリには手を出さなかった。ボロボロな惨めな姿になるのは死んでも嫌だった。
 そして、そんな世界で生きる仲間を見つけた。

 こうして、今の自分がいる。
「……!!」
 気持ちを涙で表すことさえ出来なくて、かおりは歯を食いしばり、その場に座り込んだ。

     2

「俺、このグループ抜けるわ」
 聖がそう言ったのは二日後の夜だった。
「え、じょうだんだろ?」
 タカは戸惑いながら言った。
「俺、高校受けようと思うんだ」
 そんなタカから目を反らしながら、聖はつらそうな表情で言った。
(聖がこのグループからいなくなる……?)
 かおりは突然のことに何を言えばいいのかわからなかった。
「ざけんじゃねえっ!」
 タカはいきなり聖に殴りかかった。聖はよけようとはしない。聖の反射神経ならばそれは可能なはずなのに。
「待てよっ!」
 タカを止めたのはケンだった。
「っ! はなせよっ!」
「タカ、おまえの気持ちもわかるけど、とにかく落ち着けっ!」
「……っっ!!」
 タカははじめ聖をにらんでいたが、やがてゆっくりとこぶしを下ろした。そして、ふらふらと歩くと花壇のふちにすとんと腰掛けた。
 少しの沈黙。
 先に口を開いたのはタカだった。
「おまえ、そんなに学校に行きたいのか……?」
「……わっかんねぇ」
 ポツリと言ったタカに聖が答えた。
「わっかんねぇけど、いつまでもここにいてもしょうがねぇと思うから。とりあえず、学校戻るわ」
「……くそっ!」
 タカは花壇を強く殴りつけた。
(聖は行ってしまう。あたし達を置いて……)
 かおりの胸に、寂しさと悲しさが込み上げた。
「俺には、きっとやるべき事があると思うから」
 聖はかおりたちを真っ直ぐ見て言った。
「それじゃ……」
 聖はそう言っていなくなった。かおりたちはその場を動けずにいた。
 どうすればいいのか、誰もわからなかった。
 
 次の日も同じように同じ場所でダンスを踊った。
 誰も聖の事には触れなかった。けれど、何かが足りないと、誰もが思っていた。
 ケンとコウタがコンビニに行っている時、タカはかおりのところへやって来ると、いきなりかおりをベンチに押し倒した。
「っ、ちょっ、ちょっと、何すんの?!」
 かおりはタカの手を振りほどこうともがいた。けれど、タカの力は強くなかなかとけない。
 そうしているうちにタカの顔はかおりへと迫ってきた。
 恐ろしいほどの無表情。唇が触れる寸前、かおりは渾身の力でタカを突き飛ばした。
「……っ!」
 タカはコンクリートに倒れると、少し傷ついた顔をし、下を向くとその場から動かなくなった。
 かおりは駆け足でその場を立ち去った。

 タカに押し倒されたことにかおりはすごく戸惑っていた。
 今まで冗談以外で四人にそういうことをされたことはなかった。だからこそかおりはみんなを信頼していたし、好きだと思っていた。
 その関係が壊れた事はとてもショックだった。
 同時に、そんなことをしてしまうほどタカの精神が混乱しているという事実もかおりを傷つけた。
 聖がグループを抜けると言ったあの瞬間から、かおり達はどこか不安定な気持ちを抱えていた。
(一体どうすればいいんだろう……)
 かおりの目から、一筋の涙が零れ落ちた。

 聖がグループから去って一週間ほどが過ぎた。あの日以来、かおりは駅前の広場へ一度も行っていなかった。かおりの心は変わらず、いや、むしろ前よりも揺れていた。
 グループから抜けて光の中に戻っていった聖。
 どうする事も出来ずにこの場所から動けないでいる自分。
 ついこの間まで同じ場所で同じ時間を共有していたのに、今ではもう自分たちは遠い。
 かおりは聖の言ったセリフが頭から離れなかった。
『俺には、やるべきことがあるから』
 そう言いきったときの聖の目は真剣だった。ダンスを踊っていた時よりも、他の何をしていた時よりも、何か、生きる力のようなものを感じさせた。
(あたしにも、聖の言うようにやるべき事があるのかな……?)
 こんな自分にも、ここ以外の居場所が。誰か、必要としてくれる人のいる場所が。
 あるのだろうか。どこかに。
 かおりがそんな事を考えながらどこに向かうわけでもなく昼の街を歩いていた時、再会は訪れた。
「かおりさん」
 ふと、名前を呼ばれて振り向くと、そこにはいつかの女性が立っていた。ごちゃごちゃとした街の中、そこだけ時が止まったかのように、いつかと変わらない笑顔で。
「あなたをもう一度誘いに来たの」
 女性はいつかと同じ声で言った。それを聞いてかおりは、ああ、と思った。この人には何でもお見通しなのだと。
「うちの学園に来てくれるわね?」
 女性はかおりに尋ねた。いや、同意を求めた。
「行くわよ」
 かおりは相手を見据えて答えた。
「あなたがあたしに来て欲しいと言うのなら」
 女性はにこりと微笑んだ。

「さあ、着いたわよ」
「ここが……」
 車で走ること約三十分。かおりが辿り着いたのは、大通りからいくらか離れたところに建つ近代的な綺麗な建物。
「そう。ここが鈴鐘女学院よ」
 石造りの門の中へと車を進めながら千沙都が答えた。
 色とりどりの花が咲き誇る花壇。楽しそうな笑い声。そして、そこにいる少女らはみんなフリルの着いた、まるでお嬢様が着るような服を着ている。
「ここが……学校?」
 かおりは訝しげな顔で尋ねた。
 学校というものは、もっとこう壁とかが汚れていて古臭い感じがする建物ではなかっただろうか。そして、制服は白と紺のセーラー服とかではなかっただろうか。
 あまりに自分の中のイメージと違いすぎる。
「ふふ、驚いた? この学校は新しいタイプの学校なのよ」
「新しいタイプ?」
「そう。素晴らしい人材を育成するために一番良い環境を提供する事を目的としているの」
「それが、これなわけ?」
「ええ、そうよ」
(どうしたらこのひらひらな服に辿り着くの? しかもあいつら、よく普通に着れるなぁ)
 かおりはいまいち納得がいかなくて混乱した。
 車から降りて、かおりは千沙都に案内されるまま校舎の中へと歩を進めた。
 十階建ての校舎はまるで美術館のよう。陽光が差し込む大きなガラス窓。高い吹き抜け。螺旋階段にエスカレーターにエレベーター。喫茶室。観葉植物がところどころに配置されていたりもする。上履きはなくて、土足のままでいいつくりになっている。
 かおりは千沙都のあとについて歩きながら、あまりの設備の凄さにだんだん頭がくらくらしてきた。
「そうそう、あなたのルームメイトを紹介するわね」
 しばらく校内を歩き回ってから千沙都が思い出したように言った。
 かおりは、あれからすぐに千沙都がかおりの両親に連絡を取って、十日間ほど学院に研修生として滞在する承諾を得たのだ。
 千沙都はかおりに応接室で待つように言うと姿を消した。
 かおりは応接室のふかふかなイスに座って一つため息をついた。
(ルームメイトね……。この様子だとまともな奴じゃないってことは確かみたいね)
 仲良く出来る自信は一つもなかった。というより、かおりはここに来たこと自体をもの凄く後悔していた。
 あんな簡単に誘いに乗ってしまって良かったのだろうか。早まっただろうか。でもあの時、かおりは確かに行ってみたいと思ったのだ。自分を必要とする場所に。
 そんなかおりの思考を遮るように、コンコン、とノックの音が響いた。
「藍見さん。こちらがあなたと同室になる新城さんよ」
 ドアが開き、千沙都のあとに続いてさらさらとした長い黒髪の大人しそうな少女が入ってきた。
「新城友香です。……よろしく」
 友香という名の少女が、少し騒がしい所では聞き取れないのではないかと思えるほどか細い声で言った。
「よろしく」
 かおりは友香をじろじろと見ながら答えた。
(うわっ、最悪。一番とっつきにくいタイプ)
 運が悪いにもほどがある、とかおりは思った。
 こういう子がかおりは大嫌いだった。なぜなら、一人仲間外れにされた頃の自分を思い出してしまうから。
 あの頃かおりは何も言えず、ただおとなしくする事で自分を守っていた。
 あたしは何もしないから、どうかそっちもあたしを嫌わないでと。話し掛けても誰も答えてはくれなくて、それならと話し掛けることをやめてしまった頃の自分に。
 すごくそっくりで、嫌気が差した。
「新城さんは演劇科の一年生。今年の春にこの学校に入ったばかりで、舞台に立つのは十日後に開かれる今度の公演が初めてよ。藍見さんにはとりあえず、新城さんの今度の劇の練習相手をしてもらうわ。いいわね?」
「……いいけど」
「じゃあ、今日はもう授業はないから二人とも部屋でゆっくりしていてね」
 そう言うと千沙都は、仕事があるから、と部屋を出ていった。
 かおりは友香と二人きりになってどうしたものかと悩んだ。
(この手のタイプって本当会話ってものが成り立たないのよね。こいつが演劇なんてなんかの間違いじゃないの?)
 どう考えても、演技をするよりも読書をしたり絵を描いたりするほうが似合っているとかおりは思った。
「ええと、部屋に案内するわね」
 友香がかおりの方をあまり見ずに下を向いたまま言った。
 そして、友香に連れられかおりが辿り着いたのは、超高級マンションの一室かと見紛うような部屋だった。
 リビング、キッチン、バス、トイレ、そして部屋が二つ。どれもとても広くてピカピカだ。
「この空いているほうの部屋を藍見さんが使って。もう一つが私の部屋だから」
 木のドアを開け、友香はベッドとクローゼットと机しか置かれていない部屋をかおりに示した。
「お風呂とトイレとキッチンは共同使用。食事は学院内のお店で材料を買ってきて作って食べてもいいし、レストランで食べてもいいの。そのかわり、先に予約をしておかないとだめ。予約をしておけば、お金を払わなくて済むから」
「は? 何それどういうこと?」
 友香の説明をかおりは理解できずに尋ねた。
「あなた、もしかして何も知らないでここに来たの?」
 友香はとても驚いた顔をした。
「だったらなんだって言うわけ?」
 友香のセリフにかおりは少しむっとした。
「別に」
 友香はおとなしげな表情に戻ってしらっと答えた。
(な、何なのこいつ。おとなしいのか人バカにしてんのか、はっきりしてよね)
 かおりは少し面くらって思った。こんなわけのわからない奴と付き合うのはこれが初めてだった。
「……この学校は将来国を担う人物を育成するのを目的としていて、学費、生活費はほとんど国が援助してくれているの。だから、どんな家の子供でも、この学院の生徒となるのにふさわしい能力を持っていれば入ることが出来るのよ」
(なるほどね。どうりでうちの親がこの学校に入るのをすぐにオーケーしたわけだ)
 こんなに設備が整っていてお金を払わなくていいなんてかなり素晴らしすぎる。ある意味間違っているとも言える。
 でも、そんな事よりも今問題なのは。
「ご丁寧に説明どうもありがとう。ところで、そんな学校にあたしなんかが入っていいわけ?」
 そう、かおりにとってこれが今一番の疑問だ。
「……ないわよ」
「え?」
 友香がボソッと言った言葉を聞き取れずに、かおりは聞き返した。そんなかおりを鋭い目でにらんで友香は答えた。
「そんなこと知らないって言ってるのよ! あなたがここにいていいのかも、私がここにいていいのかも、私は知らないっ……!」
 そう大きな声で叫ぶと、友香は一瞬はっとしたような表情をし、そしてすぐにおとなしい顔に戻ると、好きに過ごしてて、と言い置いて自室にこもってしまった。
(な、何なのよ一体。おとなしいかと思ったら人バカにしたように見るし、そうかと思えばいきなり怒鳴って。わけわかんない)
 本当に変な奴だ、とかおりは思った。一つも自分の感情をコントロール出来ていない。情緒不安定すぎる。まるで、幼い子供のように。
 こんな奴とこれから一緒に生活しなきゃいけないなんて……と気が重くなりつつ、かおりは自分のベッドにどさっと横になった。
  
    3 

「……藍見さん……藍見さん……」
 誰かが体を揺すっている。一体、誰?
「ん……?」
 なんとか目を開けると、見知らぬ顔がかおりをじっと覗きこんでいた。
「おはよう。もう七時よ。早く着替えて朝食を食べに行きましょう」
(あ、なんだ。新城さんね)
 そうだ、昨日この学院に来たのだ、と思い出しつつ、かおりは友香にわたされた制服に寝ぼけたまま無意識に着替えた。
(はー、超ねむっ。まだ七時なんでしょう? もう少し寝てたっていいじゃない)
 少しイライラしながら、かおりはバシャバシャと顔を洗う。ちなみに洗面台は大理石で出来ていて、照明の光を反射させている。何だか落ち着かない。
 昨日あれから友香は部屋から出てこなかった。どうすればいいかわからず、かおりは学院内を歩き回って見つけた店で弁当を買って食べた。もちろん弁当はタダだった。しかも高級な食材を使用していて、コンビニの弁当とは比較にならないくらいおいしかった。
 で、その閉じこもって出てこなかった張本人は、普通の顔をして今かおりの目の前に立っている。
「さ、急いで。今日は私と一緒にあなたも授業に出るのよ」
「は?」
「あら、学院長先生から聞いてない? 研修期間の間、あなたは私と一緒に演劇科の授業に出るのよ」
(演劇って、何であたしがそんなものの勉強しなきゃなんないのよ、まったく……)
「さあ急いで。レストランは八時には閉まってしまうから」
「はいはい」
 どうでもいいけど、とかおりは自分の服を見る。
(何であたしもこんな服着なきゃなんないの?)
 さすがにレースはついていないが、チェックのスカートに茶色のベルト。丸襟に花の刺繍がしてある白のブラウス。紺のカーディガンに赤いリボン。そして、白いワンポイント模様がある靴下に茶色の革靴。すごくお嬢様的なファッションだ。
 しかも。
「あのさ、このSの形のブローチは何なわけ?」
 かおりは左胸につけさせられた金のブローチを指差して尋ねた。
「校章よ。鈴鐘のS」
「こんなのつけなきゃなんないわけ?」
「そう。というより学院内ではつけなくても別にかまわないけれど学院外に出る時は必ずつけなきゃだめよ」
「それ、かなり恥ずかしくない?」
「しょうがないのよ。国からお金をもらっている身だからちゃんとどこにいても身分をはっきりわかるようにしていなくちゃならないの」
「ふーん」
 面倒くさい学校だ、とかおりは思った。
「さ、早く。レストランに行きましょう」
 かおりは友香に案内されレストランへと向かった。

「はー、お腹いっぱい。ここの料理マジ最高! 朝からあんないいもの食べられるなんて、あんたら良すぎ」
 かおりは食事を終え部屋に戻ると、ふかふかなソファーにどさっと座り、満足そうに言った。
 なんといったって、着いたレストランはこんなのが学校にあっていいのかと思わせるようなものだったのだ。日の光が差し込む窓からは外の庭園の花が見渡せたし、料理はすべてとてもおいしかった。高級レストラン並みか、もしくはそれ以上だった。
(こんなとこ来なきゃ良かったって思ったけど、ま、わけわかんないこいつに付き合わなきゃなんないのと、おいしい料理を毎日食べられるのでプラスマイナスゼロってとこかな)
 かおりは呑気にそんな事を思った。
「休んでいるところ申し訳ないんだけど、そろそろ授業が始まるから行きましょう」
「はいはい、わかってるって」
 かおりは友香に頷いて授業に向かった。
 そして、
「な、何ここ、これが教室っ?」
 かおりは案内された部屋を見回して声を上げた。
「ええ、そうだけど」
 友香が普通の顔で答えた。
「だってこれ、普通の学校の体育館ぐらい広いじゃない!」
 かおりはそう言いながら、もしかしたら体育館より広いかも、と思った。
「ああ、確かにそうね。でもこれが、ここでは普通の教室だから」
 かおりは絶句した。
(この学校ってやっぱり変。ていうか、ここで普通に生活してるこいつらは何者?)
 普通の生活をしていた自分にはついていけない、とかおりは心から思った。そうは言っても、自分の今までの生活もマトモとは言えないものだったが。
 自分もここでずっと生活していればそのうちに慣れてしまうのだろうか。
 教室の中には三十人くらい生徒がいた。もちろんみんな女子だ。そしてみんな同じ制服を着ている。だが、
「ね、新城さん。何であの人だけ違う服着てんの?」
 かおりは窓際で談笑している、自分より年上だと思われる少女を指差して友香に尋ねた。
「ああ、井原さんね。井原財閥って聞いた事はない?」
「伊原財閥?」
 かおりは記憶を辿った。
「えーと、それって電子機器とか食品とか衣料品とかいろいろやってるやつ?」
「ええ、そう。井原さん、あ、名前は扇さんって言うんだけれど、そこのご令嬢で演劇科に所属しているの。だけど、営業の仕事が忙しくてなかなか授業には出られないの。だから今も仕事用の服を着ているのよ」
「営業って何?」
「この学校が国によって運営されている事は昨日話したわよね? つまり、国民の税金を使わせてもらっているってことなの。だから、定期的に国民にどういうことをしているか報告しなければならないの。その仕事を営業って言うのよ」
「なるほど……」
(ていうか、この設備ってマジ凄すぎるんだけど。これを税金の無駄遣いって言うんじゃないの?)
 やはり、よくわからない学校だ。
「さ、授業が始まるから席に着いて」
 かおりは友香に促され、窓側の最後尾、友香の隣の席に座った。
「それでは皆さん、授業を始めます」
 先生らしき女性の言葉で授業は始まった。
「じゃあ今日も一時間、演技の練習をします。はじめの三十分間は各自で練習、残りの三十分間は全員ではじめから通して練習します。はい、はじめ!」
 先生が手を一回ぱんっと叩くと、みんなさっと席を立ち、何人かのグループに分かれて練習を始めた。
「ね、あんたは行かなくていいの?」
 かおりは席に座ったままの友香に尋ねた。
「別に、仲のいい子同士で集まって練習してるだけだから。それに、私はあなたと練習するように言われているし」
「あ、そっか。ところで、今度やるのってどんな劇なの?」
「……小公女っていう話を元にして作られた劇よ。主人公はお金持ちのお嬢様で、学校でも特別扱いをされていたの。でも、父親が事故で死んでしまうと周りの人は態度を一変させて、主人公に冷たくあたるの。でも、最後は父親の友達だったという人が現れて、幸せになれるっていう話よ」
「ふーん」
 そういえば小さい頃そんな劇を見たな、とかおりは思った。  
(あの頃は幸せになって笑顔の主人公を見て、自分も嬉しい気持ちになったっけ)
 今ではとてもそんな気持ちにはなれないだろうけれど。
「それで、あんたは何の役?」
「私は主人公の友人役よ」
「へー、いい役じゃない」
 かおりの言葉に友香はとても複雑そうな顔をした。
(? 何なのよ、人がせっかく役を誉めたっていうのに)
「これ、台本だから」
 かおりは友香に手渡された台本の表紙を見た。
『Bright life』
(輝いた日々、ね)
「じゃあ、私がメアリーって名前のところを読むから、あなたはサーラって所のセリフを読んで」
 友香が台本を指差しながら言った。
「え、読むだけでいいの? 演技はしないの?」
「あなたにいきなり演技もしろって言っても無理でしょう?」
 友香が、何わかりきったことを聞くんだ、という呆れ顔で答えた。
 かおりは友香のその態度にカチンときた。
(確かにそうだけど、もう少し別の言い方が出来ないの? こいつ)
 こんなんで人付き合いなど出来るのだろうか。と言うよりも、本人に人付き合いをする気が一つも見られない。
(確かにこいつ、友達いないみたいだけどね)
「じゃ、始めるわね」
 友香はそう言うと、すうっと大きく息を吸った。
(え?)
 かおりは何が起こったのかわからなかった。
 一瞬のうちに、友香を包む空気ががらっと変わった。いつものどこかおどおどとした空気ではなく、張り詰めた糸の危うさをも感じさせる、どこか神聖な空気に。
(な、何なの、これ……)
 かおりは友香を呆然と見つめた。
「ね、サーラ。あなたはなぜ、みんなが冷たい態度で接してきても、笑顔でいられるの?」
 友香がかおりの方を向き、メアリーのセリフをゆっくりと読んだ。それを聞いた瞬間、かおりは息を飲んだ。
 演技をせずにただセリフを読んでいるだけなのに、なぜだかわからないけれど、何か。
(自分が誰だかわからなくなる)
 どこか、そう、物語の世界に引き込まれていくような。不思議な、感覚。
 戸惑いながら、かおりは何とか自分のセリフを口にした。
「メアリー、私はみんなのことが好きなのよ」
「本当に? 本当にそう思っているの? サーラ。みんなはあなたをそういう風には思っていないのに?」
 不思議そうに尋ねる声音。引き込まれる。
「メアリー。相手がどう思っているかは問題じゃないの。私があの人達を好きでいたいのよ」
「いいわね、サーラは。私もあなたのように綺麗な心を持てたらいいのに……」
「何を言うの。あなたの心はとても綺麗よ、メアリー」
「いいえ。あなたの心がダイヤモンドなら、私の心などただの薄汚れた石のようなもの……」
(あれ?)
 友香のセリフが途絶えた。かおりは一気に現実に引き戻されて一瞬頭が混乱したが、はっとして友香を見た。すると、心ここにあらずという顔をしている。
「ちょっと、どうしたの?!」
「……え?」
 かおりが友香の顔の前で手を大きく振ると、友香はやっと気づいた。
「セリフ! 『わたしの心は薄汚れた石のようなもの』の次、『私はあなたにはなれないわ』、でしょ?」
「あ……ごめんなさい」
 友香が戸惑ったように謝った。
「ごめんなさい。もう一回『何を言うの』から始めてもらえる?」
「別にいいけど……」
 かおりは息を一つついて、もう一度さっきのセリフを読んだ。
「何を言うの。あなたの心はとても綺麗よ、メアリー」
「いいえ、あなたの心がダイヤモンドなら、わたしの心は薄汚れた石のようなもの。私はあなたにはなれないわ」
(あ!)
 ズキンっと今、かおりの心に何かが響いた。痛い。
(何なの、これ……?)
 今、わかってしまった。
 メアリーにはサーラの言葉など通じないのだと。本当に心からサーラのようになりたいと思っている、メアリーには。
(そりゃそうよね。こんな神様みたいな心を持てたらどんなにいいか……)
 人を憎まずに、寂しさに押しつぶされずに生きることが出来たら、どんなにいいだろう。
 けれど、現実は甘くない。
「……そう、あなたは私にはなれないわ。でもね、メアリー。私もあなたにはなれないのよ」
 かおりはなんとか心を落ち着かせながら言った。
「でもね、サーラ。それでも私はあなたになりたいの」
 また、何かが心に突き刺さった。
(何か、苦しい)
 普段隠している、つらいとか悲しいとかそういう気持ちが、じわじわと心に染み渡っていくような。
 そう、まるで、メアリーの気持ちに心を支配されたような。
 ――ナゼ、ワタシハ、コンナ気持チヲ抱エテ、生キテイルノ?
「……藍見さん? 藍見さん?」
「? あ、ごめんっ」
 今度は自分がぼーっとしていた事に気づき、かおりは慌てて謝った。
「……私達、二人で練習するのやめた方がいいかもしれないわね。この調子じゃ先に進まないし」
 友香がため息混じりに言った。かおりはそのため息に少しイラついたが、本当のことなので反論はせず、代わりに今思ったことを率直に言った。
「あのさ、新城さんの演技、凄すぎ」
「え?」
「だから、あんたの演技、凄すぎるって。なんか、メアリーに乗り移られた気がしたよ、マジで」
 かおりは意気込んで言った。今感じたものを少しでも友香に伝えたいと思ったのだ。
「そう……」
 友香はまた、複雑そうな表情をした。とりあえず、嬉しそうでないのは確かだ。
(? 一応誉めてるんだけど)
 友香は本当に良くわからない、とかおりは思った。そういえば、かおりは自分が友香の笑った顔を一度も見たことがない事に気づいた。
 彼女は一体、何を思っているのだろう。


 午後。かおりは一人で演劇科の授業に出ていた。友香は昼食を食べた後、気分が悪いと言って保健室に行ってしまったためいないのだ。
 午前の時と同じ席に腰掛け、かおりは一人講義を聞いていた。じっくりと聞いていると、だんだん演劇について学ぶのも面白いと思えてきた。
 そういえば、自分は勉強が嫌いではなかったな、と黒板を見ながらかおりは思い出す。
 新たな知識を得るのは何についてでも楽しかった。周りの友達は皆、勉強など嫌だと言っていたけれど、自分はそうは思わなかったなと。
 久しぶりに受ける学校の授業はどこか新鮮な感じがして、かおりはいつしか、その場にいる他の誰よりも真剣に先生の話に耳を傾けていた。
「じゃあ、ここの演技の仕方はどうすればいいか何か思いつく人」
 先生が教室を見回して問うた。
 すっ、とかおりは手を真っ直ぐにあげた。
(? あたし何して……)
 手をあげてから、自分は一体何をしているのだろう、とかおりは戸惑った。
 こんな風に手をあげるのは久しぶりだった。なぜだか考えが浮かび、自然に手があがってしまったのだ。
「じゃあ、藍見さん」
 先生がかおりに目を止め、指名した。
 かおりは一瞬どきっとしたが、心を落ち着け、自分の考えを丁寧に述べた。
 先生のよろしいと言う声と同時に体から力が抜けた。緊張から解き放たれてホッとしていたかおりは、他の生徒が感嘆のため息をもらしたのに気づかなかった。
 ただ、前のように、純粋になっている自分に気づき、少し嬉しくなった。

「ねえ、授業、楽しい?」
 授業後、かおりに声を掛けてきた人物がいた。伊原扇。
「別に」
 答えたかおりに、扇はくすくすと笑うと言った。
「うそばっかり。あなたが先生の話を真面目に聞いてたの、見てたわよ、あたし」
(あたしのことずっと見てたわけ? この人)
 変な奴、とかおりは思った。
「それに、素晴らしかったわよ、さっきの答え」
「え?」
「あなたの答えにみんな驚いてたわ。先生も、顔には出していらっしゃらなかったけど、内心ではかなり驚かれていたんじゃないかしら」
「……あたし、ただ思ったことを言っただけだけど」
「それならなお素晴らしいわ。あなたの感性が豊かで、そして授業が好きって思えている、何よりの証拠だもの」
 扇はにっこりと笑って言った。
「あなた、今日はじめてよね、ここに来たの」
「そうだけど」
 かおりは頷いた。
「あなたも千沙都さんにスカウトされたの?」
「そうだけど……なんで?」
「あたしも、千沙都さんにスカウトされたの。……一番ダメになってたときに」
 扇がぽつりと言った。
「え……?」
 かおりは驚いて聞き返した。
「あたし、ずっと家に縛られてて、それが嫌でね、万引きしちゃったのよ。何か悪い事がしてみたくて。今考えると、何であんなバカなことしたんだろうって感じだけど」
(伊原財閥のお嬢が、万引き……?)
「そこを千沙都さんに見つかっちゃって、あたし、警察に連れていかれる! って思ったの。でも、千沙都さんはそんなことしないで、ただ、うちの学院に来ない? って言ってくれたの」
 微笑したまま話を続ける扇を、かおりは呆然と見た。
「いろいろ考えたんだけどね、思い切ってここに来てみたの。そうしたら、ここにはあたしの居場所があった。伊原財閥のお嬢様って、そんなことなんか全然気にしないであたしを見てくれる人がいて、自分のやるべき事があって。本当に嬉しかった」
 扇はそう言ってにっこりと笑んだ。
「……なんで、初対面のあたしなんかにそんなこと話すの?」
「あなたに、チャンスを逃がして欲しくないから」
 尋ねたかおりに、扇は真顔で答えた。
「チャンス?」
「人間、弱くなっちゃう時もダメになっちゃう時もあるのよ、みんなね。でもね、もう一度頑張ることは誰にだって出来るの。きっかけさえ掴めれば」
(きっかけ……?)
「あたしは千沙都さんにチャンスをもらった。あなたも。そのチャンスをちゃんと掴むことが出来れば、あなたはきっと輝ける」
 現に、さっきの授業であなた誰よりも輝いてたわよ、と扇は笑って言った。
 輝き。
(そういえば、千沙都さんに初めて会った時にも同じことを言われたっけ)
 目の前に立つ扇が、かおりには確かに輝いて見えた。

「新城さん、具合どう?」
 寮に戻って、かおりは友香の部屋に行き、自分のベッドで横になっている友香に尋ねた。
「大丈夫。よくあることだから、気にしないで」
「あっそう。さっき、井原さんと話したよ」
 イスに勝手に腰掛けながらかおりが言った。
「井原さんと?」
「うん。この学院に来れて自分は良かった、あたしもチャンスは逃がすなって」
「そう……」
「あんたも、ここに来れて良かったって思ってんの?」
「! ……私は……」
 友香が少し言いよどんだ。
「良かったって思ってるわ。毎日が充実しているし……無駄な時間を過ごしている気がしないもの」
「ふーん……」
 模範的な面白味のない答えだ、とかおりは思った。
「それに……」
「? それに?」
「誰も私を……邪魔者扱いしないから」
 そう言った時、一瞬、友香の目に暗い闇が見えた気が、かおりはした。

   4
 
 翌日。
 ピピピピピピピ……。
「……ん?」
 がちゃん、と反射的に目覚ましを叩き、うるさい音を止めてから、かおりはあれ? とベッドから起きた。
 白い目覚ましを手にとり、首を傾げる。
 こんな目覚まし、かおりはかけた覚えがなかった。というよりも、かおりの物ではない。いつもかおりは家から持ってきた青い目覚ましをかけているが、毎回止めて寝てしまう。結局いつも友香に起こしてもらっていたのだが。
 今、友香の代わりに目の前にあるのは、見慣れない目覚し時計。
 変に思いながらかおりがリビングに向かうと、テーブルの上に一枚の紙切れが置いてあった。
『今日は出掛けるところがあるので、授業は休みます。 新城友香』
 メモを読んでかおりはまた首を傾げた。
(目覚ましを勝手に人の部屋に置いてメモを残していくくらいなら、昨日の夜言えばよかったのに……)
 人に言えないような場所にでも行ったのだろうか。別に、友香がどこへ出掛けようが、かおりにとってはどうでもいいことだったが。
 なんとなく、気になった。昨日、あの目を見た性かもしれない。
(今度、千沙都さんにでも聞いてみようかな、あいつのこと)
 そうしよう、とかおりは友香のことをそこで吹っ切り、あーねむ、と呟きながら支度をはじめた。

「はー、気持ちいー」
 昼休み。かおりは屋上で伸びをした。
 雲ひとつない青空。どこまでも吸い込まれそうな、綺麗な青。
 こんな空を見ていると、なぜだか気持ちが落ち着く。リラクゼーション効果があるのかもしれない。
「藍見さん」
「あ、千沙都さん」
 呼ばれて振り向くと、ここに来た時以来会っていなかった千沙都が、いつもと同じ微笑を浮かべて立っていた。
「藍見さん、一人? 新城さんは一緒じゃないの?」
「うん。なんか、朝からどっか行ってる」
「そう……。どう? ここの生活は」
「んー、建物はすっごく綺麗だし、料理もすごくおいしいし、その点ではひとっつも文句ないけど」
「それじゃあ、他に何か問題が?」
「そう! 新城友香ってさ、なんか変じゃない? なんか、良くわかんない行動ばっかり」
「……たとえば?」
「一昨日あたしが、あたしなんかがこんな凄い学校にいていいのかって言ったら、『そんなこと知らない!』っていきなりキレるし。演技してる途中で急に黙るし。あいつの演技マジ凄いから誉めたのに、ひとっつも嬉しそうじゃないし」
 はー、とかおりはため息をついた。千沙都は何か考えるようなしぐさをしていたが、
「……かおりさん」
「何?」
「実は、新城さんはご両親を亡くされているの」
「え?」
(一体、どういうこと……?)
「新城さんが五歳の時に交通事故で。新城さんはその後ずっと、親戚の家を転々としていたのよ」
「何、それ」
 千沙都が何を言っているのか、かおりは理解できなかった。
 そんなかおりに、千沙都はいつも浮かべている笑みをおさめて言った。
「それで……今日がその命日なの」
「命日?」
 かおりはその単語が何を意味するのかすぐには思い出せなかった。自分とはあまり縁のない単語。それの意味するものは。
(外出先も言わないでいなくなったのは、お墓参りをするため……?)
「昨日も彼女、午後保健室へ行っていたでしょう。この頃、多いのよ。多分この時期になると事故のことを思い出してしまって、それが精神的なストレスになっているのだと思うわ」
 千沙都が目を伏せて言った。
「事故のショックがかなり大きかった性か、新城さんは時々精神的に不安定になってしまうの。特に、今度の劇は今の時期にやるには内容的に相当きついと思うわ」
「……!」
 千沙都が何を言いたいのか、かおりは悟った。
(今度の劇は)
『小公女って話がもとになっているの。父親が事故で死んでしまって、周りの人がサーラにつらくあたるのよ』
「何で……何でそんなっ! あいつにそんな劇をやらせるなんてっ!」
(自分が重ねて見えちゃうような劇を)
(あいつにやらせるなんて)
 ひどすぎる。
「あいつにやらせるのはきついってわかってて、何でそんなっ!」
「……そう。私は知ってたわ、最初から。だからこそ、新城さんにあの劇に出て欲しかったのよ」
「え……?」
「あなたさっき、彼女の演技、凄いって言ったでしょう?」
「言ったけど……」
「彼女の演技の才能は素晴らしいわ、とても。この学院内で一、二を争うくらいにね。それは、彼女の感受性の強さからきているのよ」
「感受性……?」
「そう。小さい頃からたくさん、つらいとか悲しいとかそういう気持ちを感じてきたのよ、彼女は。でも、彼女はずっとそれを誰にも打ち明けずに生きてきた。だからこそ、そのため込んできた気持ち、思いを、演じる事で外側に発散しているの」
 かおりは何も言う事が出来なかった。
 なんという事だろう。友香の才能は、彼女の不幸と引き換えに生まれたなんて。
 その才能は確かに凄いものだろうが、傷ついた彼女の心は、一体どうなるのだろう。
「でもね、ただ感受性が強いだけではだめなのよ」
 千沙都はきっぱりとした口調でかおりを見て言った。
「心の弱さを乗り越えなければ、悲しいとかつらいとか、そういう気持ちに縛られて様々な役を演じる事は出来ないわ。だからあえて一番初めに、彼女のトラウマを思い出させるあの劇を演じて欲しかったのよ」
 一段階上へと進むために。
「でも、もし、それに耐えることが出来なかったら?」
 かおりは千沙都を見据えて言った。
「もし、悲しいとかそういう気持ちに押しつぶされちゃったら……?」
 可哀想すぎる。それこそ、もう二度と立ち直れなくなってしまうのではないだろうか。
(そんな、トラウマは簡単に乗り越えられないからトラウマって言うんじゃないの?!)
 かおりの心の中に、千沙都に対する非難と、友香に対する同情心が渦巻いた。
「私は彼女を信じてるわ。彼女に、もっともっと輝いて欲しいと心から願ってる」
 千沙都はさっきと変わらない、きっぱりとした口調で言った。かおりはそれを聞いて何も言えずにその場に立ち尽くした。
 わかってしまったのだ。自分なんかより千沙都の方がずっと友香のことを思っているのだと。
 そんなかおりを見て、千沙都は柔らかく微笑んで言った。
「でも、もしあなたが」
「……?」
「あなたが、同情とかそういう気持ちではなく、純粋な気持ちで彼女の支えになってあげられたら、それはとても素晴らしい事だわ」
(あたしが、新城さんの支えに……?)
 親が死んでいて可哀想だと思った。トラウマを抉られるような劇をやらされて可哀想だと思った。
 だけどそういう、可哀想とかそんなのではなくて。
(純粋な気持ちで)
「無理にとはもちろん言わないわ。でも、私には見守ることしか出来ない。新城さんならこれを乗り越えられるだろうと信じることしか出来ない。あとはすべてあなた達次第よ」
 千沙都はそう言うと、頑張ってね、と言って去っていった。

 夜。時刻は午前三時。かおりはふかふかのベッドの中で眠れぬ夜を過ごしていた。
 かおりが授業を終えて部屋に戻ったとき、友香はまだ帰ってきていなかった。そのままかおりは部屋にこもったため、友香とは顔を合わせていない。七時くらいに友香が帰宅し、かおりの部屋をノックしてきたが、具合が悪いとだけ言ってかおりは部屋から出なかった。
(変な奴って思ってたのに)
 親が死んでいたなんて。その性で不安定なのだなんて。そんな事、何も知らなかった。
(一体あたしは、あいつの何を見てたんだろう)
 本当にガキだ。何も見えていなかった。狭い、偏った視点でしか相手を見ていなかった。
(あいつの気持ちなんて、何にも気づかなかった……)
 昔、亜美に非難されて戸惑った時のように。いつも、何にも気づかず無知な自分。
 このままで、どのように友香に接すれば良いのか、かおりはわからなかった。また、前のように逃げ出すことしか出来ないのだろうか。
 せっかく、新しい場所へとやって来たのに、変われないままなのだろうか。
 かおりが一人自己嫌悪に陥っていたその時。
「あれ?」
 何か、微かに声が聞こえたような気がした。
 この高級マンションチックな部屋に住んでいるのはかおり以外にもう一人だけ。
(この声、新城さんの部屋から聞こえてくる)
 泣いているみたいな、悲痛な、声。
 がばっとかおりはベッドから起き上がると、自分の部屋を出て、友香の部屋にノックもせずに駆け込んだ。
「……!!」
 友香は、泣いていた。タオルケットに顔を押しつけ、声を押し殺して。下を向いているため顔は見えない。
「ねぇ、ちょっと、どうしたの?」
「……」
「ねぇ」
「……」
 友香は答えない。顔を上げさえしない。
(もうっ!)
 かおりは友香に駆け寄るとその肩を掴んで無理やり上を向かせた。
 涙に濡れた顔。
「ねぇ、なんとか言いなさいよっ!」
 強く肩を揺さぶる。すると、友香の口から小さな声が漏れた。
「……なの」
「え?」
「もう……嫌なの。一人は。居場所がないのは。もう、嫌なのっ……!!」
「新城さん……」
「私、一人になるんなら生まれてきたくなんかなかった。いろんな場所に行って、今度こそ自分の居場所に辿りつけた、幸せになれる、何度そう思ったと思う? でも、どこに行っても私は邪魔者だった。もちろん、中にはそう言わなかった人もいたわ。でも、わかっちゃうのよ。可愛いのは自分の子、私はただ可哀想だから引き取っただけ。でも私は、そう思われても耐えるしかないの。だって私の居場所なんて、お父さんとお母さんが死んだ瞬間になくなっちゃったんだものっ……」
 話しつづける友香の瞳には次々に新しい涙が生まれ、こぼれ落ちていく。
「私だって、幸せになりたい……! 自分の居場所が欲しい……」
 わがままなど言わない。ただ、人と同じように、家族三人幸せに暮らしたかった。それ以外の望みなど何もない。たった、それだけ。
 それだけの事が、叶わずに。
「……!!」
 止めどなく流れる涙。
(新城さんがここまで苦しんでたなんて)
(居場所がなくて苦しんでたのは、あたしだけじゃなかったんだ)
 かおりの目に、いつしか涙が溢れていた。
「新城さん」
「……」
「新城さんってば」
「……」
「……友香」
 びくん、と友香の肩が動いた。
「友香。あんたはここにいていいんだよ。みんなあんたが心を開くのを待ってる。あんたの居場所はここにあるんだよ」
「え……?」
「あんた、演技すごく上手いよ。本当に。あんたの演技で人を幸せにしなよ。せっかく才能あるんだからさ」
(せっかく、ここに来ることが出来たんだから)
「あたしも何でここに来たのかまだよくわかんないけど、あんた見てたら思ったんだ。あたしはここに来る運命だったんだよ、きっと」
「……」
「あんたと出会えて、あたし、変われそうな気がしてる。だから、あんたも幸せになりなよ」
「……」
「一緒に、頑張ろうよ」
 顔を上げた友香の瞳は、暗闇の中で綺麗に光っていて。
 ここからきっと何かが変わる。かおりはそう、思った。

         5

「友香! レストランにお昼食べに行こ」
 四時間目の授業が終わって、かおりは台本を読んでいる友香に声を掛けた。
「ごめん、先に行っててくれない? ここのセリフの読み方、先生に確認したいから」
「わかった。じゃ、先に行ってるね」
 三日後に迫った公演に向けて、練習も大詰めになってきた。
 あの夜以来、友香の性格は少しずつだけれど明るくなりつつある。もう、彼女の劇を見て前のようにただ苦しい気持ちになる事もなくなった。そうは言っても、演技の質が落ちたわけではない。むしろ、前以上にいろんな気持ち、楽しいとか嬉しいとかが感じられる演技をするようになった。
(今から公演が楽しみ)
 かおりは顔をほころばせて思った。
 そして、かおりの研修期間も残りあと少しとなった。
(あたしはこの学院に来て、友香と出会って、自分以外の人の苦しみを知った。ここでなら頑張れそうって思った)
 けれど。
(まだ、前の居場所にケリつけてない)
 行かなくなったままの学校。突然抜けたグループ。まだ、終わっていない。新しい場所で生きていくために、ケリをつけなくてはならない。
(お母さんにもここでなら頑張れるって言わなくちゃ)
 恐いけれど。過去の場所に戻るのは。逃げ出してきたところへ戻るのは。
 でも、区切りをつけるために。

 扉を開けて教室に入ると、ざわっと空気が揺れた。みんなの目が自分を見ているのがわかる。
 顔が上げられない。
「今日は皆さんにお知らせがあります」
 今日初めて会った担任だという女性が、皆を見まわして言う。
「藍見かおりさんが、鈴鐘女学院に転入する事になりました」
 え、と誰かが言ったのをきっかけに、シーンとしていた教室にざわめきが生まれた。
「鈴鐘ってあの鈴鐘?」
「うそ、学校全然来てなかったくせに、何であんな凄い学校に入れるの?」
「あ、でも藍見って、すっごく頭とか良かったよね?」
「金積んだんじゃないの?」
 こそこそと誰かが話しているのが聞こえる。
(やっぱ言われると思ったんだよね)
 そう、あとで冷静になって考えてみたら、鈴鐘女学院というのは、入った人はみんな将来的に世界で活躍する人物になるという、近頃話題になっている名門校だったのだ。しかも、スカウトされた人しか入る事は出来ないらしい。
「藍見さん、みんなにあいさつして」
 担任がかおりを促した。
(顔を上げなきゃ)
 頭ではわかっていても。
 恐い。みんなが見ている。視線が刺さる。あの軽蔑したような目で。奇妙な生物を見るような眼で。
(きっと、あたしを見てる)
「藍見さん?」
 心配そうな声で聞いてくる担任。この担任はかおりがいなくなるとわかって、きっとさぞかし喜んでいるだろう。厄介払い出来る上に、自分のクラスの生徒がそんな凄い学校に転校する事になったのだから。
(顔を上げてみんなにさよならって明るく)
(言わなくちゃ)
(でも……恐い)
(どうしたらいいの……?)
 ぐるぐるといろいろな気持ちが、かおりの頭の中を回って。
(ここはどこ? こんなとこにいたくない)
 担任の声がだんだん別世界の事のように思えてきて。
(意識が、逃げてく)
 ここではない、どこか、別の場所へ。
「かおり」
 そんな頭に響いた声。
「かおり」
(この声……)
「かおり、こっち見てよ」
 懐かしい、声。
「亜美?」
 かおりが驚いて顔を上げると、亜美と他の三十人の目がかおりに向いていた。
 一瞬、顔を上げてしまったことを激しく後悔する。
 しかし、一番前の席――つまりかおりの目の前――に座る亜美の顔に安堵の表情が広がったのを、かおりは確かに見た。
「かおり、やっとあたしのこと見てくれた」
 ホッとしたような表情。心から嬉しそうな微笑み。
(亜美?)
「あたし達、ずっと待ってたんだよ、かおりが学校に来るの」
「え……?」
 予想外の言葉にかおりは聞き返した。そんなかおりを、亜美は涙が溜まった目で真っ直ぐに見て言った。
「なのに、やっと来たらお別れなんてひどいよっ!」
「亜美……?」
「あたし達に、ごめんって言わせてよ……」
 亜美の目から溢れた涙が、つうっと頬を伝った。
「あたし達、ただかおりの事がうらやましかっただけなの! なんでも出来て、嫉妬してたの。でも、そんな自分がバカだって気づいた時には、かおりはもういなくなっちゃってた。本当に悲しかったんだから……!」
「亜美……」
(あたしのこと、待っててくれたの……?)
 周りを見ると、亜美と同じような表情をした子が何人もいるのが見えた。
「亜美……ごめん」
 かおりは亜美の目を見て言った。
「待っててくれたなんて、知らなかった。あたし、逃げてばかりだった」
(本当に、臆病で)
「自分の気持ちしか考えてなかった。本当に、バカだった」
 何でもっと早くに気づかなかったのだろう、とかおりは思う。もう鈴鐘以外に自分の居場所はないなどと、なぜ思い込んでしまったのだろう。
「かおり、行かないでよ。一緒に学校卒業しようよ」
 亜美の目が真っ直ぐにかおりの事を見てくる。
「お願い。あたし、このままかおりと離れたくなんかない!」
「亜美……」
 どうすればいいのか、かおりはわからなかった。
(あたしも、亜美とこのまま別れたくなんかない。でも……一度、自分の居場所は鈴鐘だって決心したのに、いまさら……)
 かおりは混乱した。そこに。
「失礼していいかしら」
 聞こえたのは、きれいなさらさらとした声。
「千沙都さん!」
 ドアから入ってきたのは、なんとかっちりとしたグレーのスーツに身を包んだ千沙都だった。
 戸惑っているかおりに、千沙都ははっきりとした口調で言った。
「かおりさん、無理はしなくていいのよ」
「え?」
「あなたがここにいたいと思えたならそれは喜ばしい事だわ。あなたは自分のいたいと思うところにいればいいの」
「千沙都さん……」
「ここで頑張ってみなさい。今のあなたならきっと大丈夫。鈴鐘女学院には高校から来ればいいわ」
「千沙都さん……!!」
 かおりの顔に笑顔が広がった。
「かおり!!」
 席を立ってやってきた亜美に、かおりは飛びついて喜んだ。
        

 夜、かおりは駅前の広場にやって来ていた。
 時刻は九時少し前。多分みんなはもうすぐ来るだろう。
(あの頃は、ここにいる時だけが幸せだった)
 何もかも忘れる事が出来て。でも、本当は現実から逃げていただけだった。
「……かおり?」
「え、聖?」
 呼ばれて振り向くと、聖が驚いた顔で立っていた。
「あれ聖、グループ……抜けたんだよね? 何でこんなとこにいるの?」
「ああ、学校の帰り」
 かおりの問いに聖が口元で笑って答えた。
「学校の連中と少し喋ってたらこんな時間になっちまった。あ、遊んでばっかじゃなくてちゃんと勉強もしてるぜ?」
「そっか。学校、上手くいってるんだ」
「ま、なんとかな」
 聖が下を向いて少しためらうように言った。
「最初はさ、学校に戻っても、なんか居場所なくってさ。男友達には何で戻ってきたんだってからかわれるし、先公はおまえなんていない方が問題が起きなくて楽だって感じで見てくるしよ。いまさら勉強なんかしたって無駄なんじゃないかって思えてきたりしてな。やっぱ、前みたいな生活してた方が幸せなんじゃないかって思えてきちまって。でも、何日か行ってるうちに、だんだん楽しんでる自分がいんだよ」
「わかるわかる、その気持ち」
 かおりが笑って言った。
「今じゃもう、学校が俺の居場所って感じ」
 聖もつられて笑って言った。
「ね、聖はどうして急に学校に行きたいって思ったの?」
「え?」
「あの時、教えてくれなかったよね」
 かおりはいたずらっぽく聖に笑いかけた。
「……俺、ずーっとイライラしてたんだ。こんな生活してる自分に」
 手すりにもたれかかり、聖が少しずつゆっくりと喋り始めた。
「でも、ずーっと抜け出すきっかけがつかめなくて。あー俺、これから一体どうなっちまうんだろうって思ってた時にさ、街である奴に出会ったんだ」
「ある奴?」
「そ。なんかさ、妙にスーツが似合わねぇ男。違和感あんだよ。人ごみの中で浮いててさ。変な奴だなーって思ってその日は終わり。ところが次の日もその次の日も見かけちまってさ。しかも全っ然違う場所で」
「それで?」
「それでさ、あの日……俺がグループから抜ける前の日にさ、公園で会ったんだよ。相手何か俺らくらいの歳の奴らに囲まれててさ、ご愁傷様とか思って通り過ぎようとしたらさ、何とその男が相手軽く殴って勝っちまってよ。マジ驚いた。だってさ、どう見ても手加減してんのわかりまくりだったんだぜ? 人は見かけによらないって言うけど程があるって思ったよ。でさ、俺が突っ立ってたら、その男が気づいて近づいてきたんだよ」
「え? 何で?」
 かおりは突然の展開に驚き、聖に即座に尋ねた。聖はそんなかおりに口元で笑いかけると、続きを話し始めた。
「驚くだろ? そしたらそいつがこう言ったわけ。しょうもないとこ見られちまったなぁ、聖に、ってさ」
「え?」
 かおりは予測の及ばない方向に話がどんどん転がっていき、少し頭が混乱してきた。
「俺マジ、は? って思ったよ。そしたらそいつ、俺の兄貴だって言ってさ」
「え、お兄さん?」
 かおりはきょとんとして聞き返した。
「そ。俺が九歳の時に家出した、五歳年上の兄貴。すっげー不良でさ。そんでうちの親は二の舞いにならないように俺に厳しくなってさ、それに嫌気がさした俺はこうなっちまったわけ。すっげー悪循環だろ? 笑っちまうよな。でさ、俺の頭ん中の兄貴はさ、髪茶パツでいつも周りを大っ嫌いって感じな目で見ててさ。でもそいつはそんな感じしなくて何かイメージ合わねぇの」
「それで?」
「でさ、兄貴が言うには、就職活動ってのしてんだって。スーツ着てたのは会社の面接だってさ。今、なんかアパート借りて一人暮らししてるらしい。それ見て俺、思ったんだ。俺もまだやれるんだって。やり直せるんだって。兄貴に出来るんならきっと俺にも出来るって」
「そっか……」
 聖はそうやって見つけ出すことが出来たのだ。自分自身がやるべきことを。
「よかったね、もう一度頑張ることが出来て。聖はいつかきっとなれるよ、好きだと思える自分に」
「だといいんだけどな」
 いつか、好きだと思える自分になれたら。
「それより、おまえはどうしてたんだ? ずっと見かけなかったけど」
「あたしは……いい人に出会ったの。その人のおかげで自分の居場所見つけられたよ」
「そっか。確かにおまえ、前より輝いてるぜ。前もすげー美人だったけど」
 聖の言葉にくすくすと笑って、かおりはありがと、と言った。
 しばらくかおりと話してから聖は、明日も学校があるから、と言って帰っていった。それと入れ替わるかのようにケン、タカ、コウタがこちらへやって来るのが見えた。
「あれっ、かおり!?」
 三人はかおりに気づくと驚いた顔で駆け寄ってきた。
「かおり、おまえ一体どうしてたんだよ!? 急に来なくなって俺らマジ心配したんだぞ」
「ごめんね、みんな。今日は話があって来たの」
 ケンの言葉でみんながどれだけ心配してくれたのかがわかり、かおりはとてもすまない気持ちになった。けれど、今日ここに来た目的を忘れるわけにはいかなかった。
「話……?」
「そう。あたし、グループ抜けるわ」
「何だって?!」
 三人が、同時にすごく大きな声を上げた。
「さっき聖を見かけたけど、もしかしてあいつに入れ知恵されたのか!?」
 タカがものすごい剣幕でかおりを問い詰めた。そんなタカにかおりは微笑し首を横に振った。
「ううん、違う。あたし、ある人のおかげで変われたの。だから、ごめん。もうこの場所にはいられない」
 驚きを隠せないで戸惑っている三人にかおりは言った。
「あのね、みんなに見てもらいたいものがあるの」
 かおりはそう言って無言の三人に公演のチケットを渡した。
「見に来て。きっと、無駄にはならないから」
 きっと自分の本当の居場所がわかるから、と。

      6

「友香っ! そろそろ始まりね」
 公演当日。かおりはメイクを済ませて舞台そでに立つ友香に声を掛けた。
「うん……」
「大丈夫? 緊張してる?」
「もちろんよ。セリフ間違えないかとか演技失敗しないかとか、本当に心配」
 心臓がすごくどきどきしてるの、と友香は胸に手を当てて言った。
「きっと上手くいくって。あんなに頑張って練習してたんだから」
「うん……」
(頑張って。乗り越えて。きっと幸せになれるから)
 かおりは友香の手をしっかりと握ると、客席で見てるから、と言ってその場を離れた。
 そして。
(あ!)
 かおりは前から五列目、中央の客席に三人を発見した。この場に似合わない今時の服装で行儀悪く席につく三人に、他の観客は奇異の目を向けている。
「みんな、来てくれたんだ」
「お、かおり!」
 かおりは三人に微笑むと隣の席に腰掛けた。
「来てくれないかと思った」
「なんで?」
「いきなりグループ抜けるなんて言ったから、みんな嫌な気分になったかと思って」
「……かおりが勧めるから、きっと無意味なもんじゃないだろうと思ってさ」
 ケンがそっぽを向いて言った。
「うん。きっと見てよかったって思えるよ」
 かおりは確信をもって言った。
『ただいまより、鈴鐘女学院演劇科第十四回公演「Bright life」を始めます』
アナウンスと共に幕が上がった。
「サーラ、サーラ。それ、またあなたのお父様からの贈り物?」
「いいわねぇ。私なんて誕生日とクリスマスぐらいにしか贈り物をもらえないわ」
「ほんと、うらやましいわ」
 クラスメイトに囲まれるサーラ。お嬢様として扱われて、何一つ不自由のない日々。
 しかし。
「まぁ、なんていうこと!!」
 先生の叫び声。その瞬間からすべてが一変する。
 父親が死んだと知らせる手紙。今までサーラを特別扱いしていた先生の態度が、冷たく容赦のないものに変わる。周りの友達もいなくなり、サーラは下働きとして何とか学園にいさせてもらう。そして、サーラに残ったただ一人の友達は、友香が演じる下働きの少女、メアリー。
「!」
 薄汚れた服を着て友香が舞台に現れた。
(もうすぐ、あの場面になる)
 かおりは少しどきどきしながらその時を待った。
「サーラ。私は貧しい生まれだし親も小さい時に死んでこんな生活には慣れてるわ。けれど、あなたは違う。こんな生活が嫌にはならないの?」
 サーラ役の子の隣に座って、友香がメアリーとして問い掛けた。
(あ!)
 かおりは唖然として友香を見つめた。
 友香がそのセリフを言った瞬間、まるでそこだけスポットライトがあたっているかのように周りより輝いて見えたのだ。他の人の演技力には劣っているが、友香が誰よりも内に輝きを秘めているとその瞬間に直感した。
(これが、千沙都さんが言ってた輝き……?)
 理屈とかそういうものではない。ただ、本能が告げるのだ。友香はただ者ではないと。友香の演技は素晴らしいと。 
 こんな常識を超えたすごいものが、この世にあっていいのだろうか。
「メアリー。私はいつも楽しいことを考えているから、あまり寂しくなったり悲しくなったりしないの」
 サーラ役の子が微笑を浮かべて言う。
「うらやましいわ。私はあなたみたいに頭が良くないから、すぐに寂しくなっちゃうの」
 友香が俯いて言う。
 ドクン、とかおりは胸を打たれた。メアリーの、女神のようなサーラのようにはなれない普通の女の子の悲しみに。
「ね、サーラ。あなたはなぜ、みんなが冷たい態度で接してきても、笑顔でいられるの?」
「メアリー、私はみんなのことが好きなのよ」
「本当に? 本当にそう思っているの? サーラ。みんなはあなたをそういう風には思っていないのに?」
 不思議そうに尋ねる声音。すがるような瞳。それは、以前にも増してかおりを物語へと引き込む。
「メアリー。相手がどう思っているかは問題じゃないの。私があの人達を好きでいたいのよ」
「いいわね、サーラは。私もあなたのように綺麗な心を持てたらいいのに……」
「何を言うの。あなたの心はとても綺麗よ、メアリー」
「いいえ。あなたの心がダイヤモンドなら、私の心などただの薄汚れた石のようなもの。私はあなたにはなれないわ」
「……そう。あなたは私にはなれないわ。でもね、メアリー。私もあなたにはなれないのよ」
 そう、それは真実。でも、メアリーにはそんなことは伝わらない。今は、まだ。
「でもね、サーラ。それでも私はあなたになりたいの」 
 その瞬間、水を打ったように会場が静まり返ったのをかおりは感じた。ちら、と隣に座る三人を見ると、心ここにあらず、という顔をしている。
(サーラにはなれなくても、人はみんなメアリーにはなれるから)
 悲しみも苦しみも投げ出せたらと、メアリーのように思うから。救われたいと願うから。
(だからメアリーは、サーラ以上に人を引きつける)
 だからこそ、かおりは三人にこの劇を見て欲しかった。メアリーと一緒に希望を見つけて欲しかった。
 きっと、その願いは叶う。
 時間は経ち、いよいよラストシーン。
「サーラお嬢様。お迎えに上がりました」
 サーラの父の友達だという伯爵がサーラを迎えに来る。
「まぁ!」
 驚くサーラ。そして、その顔には笑顔が広がっていく。
「私、伯爵と共に暮らすわ」
 サーラはみんなに微笑んで言う。
「メアリー。今まで楽しかったわ。私はここを出るけど、あなたはずっと私の友達よ」
「サーラ……」
 メアリーは、友香は涙を流していた。
 そこにあったのは、女神のようなサーラに対する嫉妬でも、自分の境遇を嘆く様でもなく、ただしっかりと希望をもって生きようという力強い意思。
 メアリーは知ったのだ。
 幸せになれるかなれないかはわからないけれど、努力することは決して無駄ではないと。自暴自棄にならずに頑張って生きようと思ったのだ。
 友香の涙はいつか見たのと同じくとても綺麗で、かおりもそれを見て涙を流した。
 そして、三人もまた同じように涙を流していた。
 この劇を見て、三人はきっと気づいたのだ。まだやれると。もう一度頑張ろうと。
「かおり……」
 劇場から出て、夜の街を歩きながらケンが言った。
「俺も、もう一度学校さ、行ってみようかなって思う」
「そっか。頑張って、応援してるから」
「ほんと、ありがとな。おまえのおかげだ。もう二度と、こんな気持ちになるなんて思ってなかったよ」
「俺も……」
 タカが言った。
「これからどうやって生きるか、真剣に考えていこうって思うよ。それと……この間はごめんな。ほんと、自分でも何であんなバカなことしたんだろうってすごく後悔してる。謝っても許してもらえないと思うけど……」
 ううん、とかおりは首を横に振った。
「気にしないで。私はタカがまた一生懸命頑張ろうと思ってくれただけですっごく嬉しいんだから」
 タカはちょっと照れたように下を向いた。
 コウタが言った。
「俺……、俺達、おまえのことが本当に好きだったんだ。すっげー綺麗だし、それになんか強ぇし。でもさ、どっかで守りたいって思わせんだよ。おまえほどいい女、他に知んねぇ……」
「ありがと。あたしもみんなのこと本当に好きだった。でも……」
「わかってるって。俺たちがおまえにとって仲間以外の何者でもないってことはさ。でもせめて、ナイトぐらいにはしといてくれよな」
 ケンが笑って言った。
「うん……」
 かおりはまた溢れ出しそうになる涙をこらえてうなずいた。

 これからどうなるのかなんて誰も知らない。でもそれは、可能性は無限にあるって言うことで。
(もしかしたら一秒後に、人生は大きく変わるかもしれない)
 あとはすべて、自分の心次第。
 ――新しい気持ちで、新しい自分で。何度でも、新しい始まりは訪れる。



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