テスト前夜〜shool life dreamer〜


 勉強する意味を悩むのは、おかしなことですか?

「みんな、あさってはとっても大事な期末テストよ。今回のテストが終わったらすぐに内申書と通知表の成績をつけて私立の入試相談に持って行かなくちゃならないの。テストの成績次第で第一志望の高校を変えなきゃならない人もいるでしょう? あとで後悔しても遅いわよー、今が頑張り時なんだから。
――はい、じゃあ今日はここまで」
 先生の長い話で今日も帰りの会は締めくくられた。
 日直の、腰パンをして上履きのかかとを踏みつぶした男子が、早口でさよならと言い教室を飛び出していく。
「はぁー……」
 私・平野那未は小さくため息をつきながら教科書とノートがたくさん詰まった重いかばんをよいしょ、と背負う。
「あいつ、超ウザい。毎日ごちゃごちゃうっさいっつーの」
 先生が教室を出ると後ろでおしゃべりが始まった。
 私はそっちを見ずに前のドアに向かいながら話を聞く。
「そうそう、毎日テストだって言われると逆にやる気なくすよねー」
「あたしら、頑張ってんのにねー」
(うんうん、よくわかる)
 私は心の中で密かに頷く。
 先生はこの一週間、テストのカウントダウンをしている。毎日毎日成績だ、テストだと言われていい気はしない。
 いい加減人にプレッシャーをかけまくっている自覚をもって欲しい。
 こっちは言われなくても一生懸命やってるっていうのに。
 まったく、大人はわかってない。

「はー、あさっては最後のテストなんだよねー」
 帰り道、友達の紺野加奈ちゃんがしみじみと言った。
 加奈ちゃんは私の一番の友達で登下校をいつも一緒にしている。明るい性格の持ち主で友達も多い。運動がすごく得意で、この間までバレー部で活躍していた。
「うん。私全然勉強はかどってないんだ。嫌になっちゃう」
「あたしもっっ! 今度のテストで人生の何分の一かが決まっちゃうなんてやだなー。あたし、高校行けないかも……」
「そんなこと百パーセントないって加奈ちゃんの場合……」
 加奈ちゃんは運動が得意なだけじゃなく勉強もすごくよく出来て、学年トップにその身をおいている。目標校は私と同じ、学区でトップの瀬緒高校だ。でも先生には県で一番の高校を勧められているらしい。羨ましすぎる。そういう私も十位くらいにはいるんだけど。
「やっぱあたし、テストって嫌いだなー」
「は? 何で?」
 唐突に呟いた加奈ちゃんに私は驚いて尋ねる。
 全教科余裕で九十五点以上取ってる人が何を言うんだ。
「だってさ、あたし達の努力を百点って数字で評価するんだよ? 必死で勉強しても当日問題と相性が悪かったら悪い点のテストが返ってきておしまい。運良くいい点取れても先生が通知表や内申書を上げるだけ。その日ぽっきりの運試し。そんなものの為に一夜漬けとかして睡眠不足になってまで勉強するのはなんかバカらしいなって思わない? あたし自身、自分が何言ってるんだか良くわからないんだけど」
 加奈ちゃんは胸の内に溜まっていたものを吐き出すように言う。
 ちなみに加奈ちゃんの言う“いい点”は九十七点以上のことで、“悪い点”は九十五点以下のことだ。
 テストのことをそういう風に言えるのは、百点を簡単に取れちゃう加奈ちゃんだからこそなんだろうけど。
 でも、何を言いたいのかはなんとなくわかる。
「ま、ね。私もテスト嫌いだけど」
「でしょっっ?」
「……。ていうか、テスト好きな人がいたら会ってみたいかも」
「確かにね。ま、そんなこと言っても、あたし達が中学生である以上しょうがないんだろうけど」
 加奈ちゃんが諦めの表情で言う。
 そう、とても悲しいけどそれが現実。
 私達はそれに逆らって生きれるほど強くないんだ。
 勉強して“優等生”でいるのがいいのか、大人がつくった決まりを放棄して“不良”のレッテルを貼られるのがいいのか私達は知らない。
 だけど、今そんなことを考えてる余裕はない。
「ま、とにかくお互い頑張ろうね」
「そだね。どうせ今日含めて四日の辛抱だし」
 私と加奈ちゃんはお互いに励まし合う。というよりも気弱な自分に言い聞かせる。
 とにかくあさってには大事なテストがあるのだ。

「那未、テスト勉強はかどってる?」
 夕食を食べながらお母さんが聞いてくる。
 教師をしているお父さんはまだ帰ってこない。
「んー、多分なんとかなると思うけど」
「そう? ま、那未の成績なら瀬緒高校は大丈夫って先生もおっしゃってるから心配はしてないけど。でも、重要なテストなんだから失敗しないようにね」
 お母さんはにっこり笑顔で言ってくる。
(お母さん的にはこれが“娘にうるさくないいい母親”なんだろうけど)
 でも、お母さんが言いたかったのは最後の言葉だってことを私は知っている。
「わかってる。頑張って前より成績上げるね」
 私は笑顔で答えて自分の部屋へ向かう。こんなところにはいたくない。

 時計の針はまだ九時半を指している。でも私は数学の問題を前に眠気と戦っていた。
「yはxの二乗に比例するから……」
 呟きながら、頭はどっかにいっている。
 いくら考えてもわからない。寝ぼけているせいもあるし、もとから数学は好きじゃない。特に関数は。
 まだ将来の夢は決まってないけど、多分理数系には進まない。足し算と引き算と掛け算と割り算が出来れば私の人生に支障はない、と思う。
 何で私達は生きるために必要じゃない事を勉強しなきゃダメなんだろう。
「那未、入るよ」
 ノックと同時にお父さんが私の返事を聞かずに部屋に入ってくる。
「お帰り。遅かったね」
「ああ、ちょっと今日は会議だったんだ。テスト勉強はかどってるか?」
「うん、そこそこ」
「お父さんは那未が娘で良かったと思うよ。うちの学校の生徒でも全然勉強しないのがたくさんいるんだ。その点、お父さんは安心だ」
 お父さんはそう言ってにっと笑い、無理はするな、と言って出て行った。
(無理、ねぇ)
 私だってしたくてしてるんじゃないんだけど。
 でも、無理しなきゃいい点取れないんだから仕方ないんだ。
 一体私は何のために頑張ってるんだろう。
 何のために。
 お母さんはいつも「高校に行くため」って言う。
 きっと高校生になったら「大学に行くため」とか言うんだろう。
 今の時代、いい学校を出てもいい人生を送れるわけじゃない。そんなこと誰だって知ってる。だけど、親は子供にいい学校に行って欲しいって思うんだ。
 一体、いい人生ってなんなんだろう。
 みんな夢を持って生きてるんだろうか。
 私が思うことはたった一つだけ。
 バカな大人には絶対になりたくない。
「はー……」
 私は大きなため息をついてスタンドの電気を消した。
 こんな事を考えてたら勉強なんてはかどるわけがない。
 今日はもう寝て、明日の朝早起きでもしよう。
 こんな事をしている間にも、テストはだんだん近づいている。

 テスト前日の数学の時間。
 さすがに最後のテスト前なだけあって、私から見る限りではみんな真面目に授業を受けている。
「座標平面上の三角形の面積の求め方は――」
 数学の野島先生が黒板を棒で示し、長々と説明をする。
 私は結局早起きを出来なかったにもかかわらず、頭がぼーっとして先生の話は頭に入ってこない。
「――はい、じゃあこれを誰かわかる人」
 先生が難しい問題を聞く。
 先生がみんなをぐるりと見回すと、私の隣の席の渡井遼太君がすっと手をあげた。
「じゃ、渡井」
 渡井君は前に出て黒板に答えをすらすらと書く。
 渡井君は私と成績が同じくらいでクラスでもリーダーって感じの子じゃない。真面目であまり騒いだりしないので、他の男子に一目置かれている。会計をしていて、いつもさりげなく委員長の補佐をしている。
 私も渡井君も目がかなり悪いから、隣の席になるのはもう三度目だ。私はあまり男子と喋れないんだけど、渡井君とはけっこうよく喋る。
 渡井君は私達が嫌だとか退屈だとか思う事にも目をきらきらさせながら取り組む。私にはそんなこと絶対に出来ない。
 私はそんな渡井君のことがけっこう好きだったりする。でもその“好き”は恋じゃなくて尊敬に近い。
「――はい、正解だ。みんなもちゃんと理解しろよー?」
 先生が渡井君の答えに満足しながら言う。
 渡井君は嬉しそうな顔でちょっと照れながら席に戻ってくる。
 席に着くと、また目をきらきらさせて黒板を見つめている。
 そして、問題に取り組む。
 とても、とても楽しそうに。
(こんな渡井君でも勉強するの嫌になったりするのかな)
 私が見る限りではそんな風には見えないけれど。
 でも、人の思いを知ることは簡単な事ではないから。
 渡井君の考えを知ってみたいと私は思った。

「明日はテスト本番よ。勉強何もしないよりは徹夜したほうがマシよ。いま少し苦労すればいいだけなんだから。頑張らなきゃいい結果は出ないわよ。後悔先に立たずって言うでしょ?
 ――はいじゃあ今日はここまで」
 今日もお決まりのセリフで帰りの会は締めくくられる。
(少しの苦労、か……)
 先生は一体どれだけの苦労をしたんだろう、今私たちの前に立つまでに。
 私みたいに生きることや勉強することを悩んだりしたんだろうか。
 教えて欲しい。別に、先生みたいになりたいわけじゃないけど。

 テスト前夜。
 チッチッチ……。
 時は刻一刻と過ぎていく。
 私は一生懸命必死で暗記をする。
 ベットに横になっちゃったらアウトだ。私は閉じそうになるまぶたを必死で持ち上げる。
 数学の関数はいまだに良くわからない。明日のテストは憂鬱だ。
 結局私は一夜漬けをする。
 テストでいい点を取るために。
 私は一体何をやっているのだろう。

 嫌なテストは二日で終わった。
 終わってしまえばあっけないもので、私達はドキドキしながら返却を待つ。
「那未ちゃん、あたし、今回すっごくいい点取れるかも」
 あんなにテストが嫌だと言っていた加奈ちゃんはにこにこ嬉しそうだ。
 のどもと過ぎれば熱さも忘れる。これは昔の人がつくったことわざだけど、確かにその通りだ。
 私達はとても単純な生き物かもしれない。

 最後のテスト返却は数学。他の教科はどれもいい点で、私の運命はこれに懸かっていた。
「うっわー、すげーわりー」
「うわ、うっそ、うれしー」
 みんなはきゃあきゃあとテストをもらい席に着く。
「平野」
 とうとう私の番になった。
「はい」
 私の心臓ははちきれそうだ。
 受け取ったテストをそーっと開く。
 なんと、八十五点だった。予想外のいい点に、私の顔に笑顔が浮かぶ。と、
「うわ、渡井、九十点かよ?!」
 うらやましー! と男子が声をあげる。どうやら渡井君は得意の数学で百点は逃がしたらしい。
「もー言うなよなー!」
 渡井君は怒って男子を殴る。
「いいじゃん別に。ばらされて困る点じゃないだろー?」
(おいおい、そういうものじゃないでしょーが)
 私は心の中でつい突っ込む。
 渡井君も別に本気で怒ってはいない。
 男子もそれをわかっていてやってるのだ。
(楽しそうだな)
 渡井君はいつでも、楽しそうに生きている。
 
 テスト数日後。
「じゃあ今月の反省は――」
 月一回の給食委員会。
 私はさっき教えてもらった順位がいつもより良かったのでとても気分がいい。
「渡井君、順位どうだった?」
 渡井君も給食委員なので、私は委員長の話を無視して聞いてみる。
「順位? 十五番だったよ」
 渡井君は微笑しながら言う。
「え……、それっていつもより悪かったって事?」
 渡井君の態度と成績が一致しなくて、私はつい聞く。
「うん、そうだよ。いつも数学の点で何とかなってたんだけど今回はイマイチだったから」
 そういえばさっき先生が、今回のテストでは四百五十点以上の人が二十人近くいるから一点差で順位がいつもよりすごく下がった人もいるとか言ってたけど。
「あのさ、渡井君。その割には落ち込んでないよね?」
「ん? 確かに順位がいつもより悪かったのはショックだったけど、その分苦手な国語と社会の点が良かったからすっごく嬉しいんだ」
 渡瀬君は理科と数学の点はすっごくいいんだけど、国語と社会の点はあまり良くないんだ。私はその反対なんだけど。
「渡井君って考え前向きなんだね」
「そうかな。ていうか、俺は夢を実現したいんだ」
「夢?」
「そう! 俺、どうしても科学者になりたいんだ」
 科学者。渡井君らしく大きい夢だ。
「そっか。だから理数系頑張ってるんだ」
「うん。でも、俺がなりたいのはいろいろ出来る人なんだ」
(いろいろ出来る人……?)
「俺が科学者になりたいって思ったきっかけはある本を読んだ事なんだ。宇宙の事とかが載ってる本で、表紙の地球の写真に惹かれて買ったんだけど。そこに宇宙の話が載ってて、すっごい面白くってさ。それ読んで宇宙のことを自分で解明したいって思ったんだ。だから、そういう風に誰かに夢を与えられる文章を書くのも夢」
「ふーん……」
(いいな、人に話せる夢があって。夢に向かって頑張れて)
 私は渡井君のことをすごいと思う反面、なんだかすごく虚しくなった。
「平野は?」
「え? 私?」
「平野はなんかなりたいものないの?」
 渡井君はふつうに聞いてくる。何の変哲もない言葉。でもその言葉を聞いたとたん、私の中で怒りとも悲しみともいえない気持ちが沸き起こった。
「私は……まだ夢ないから」
「そうなんだ? いいもんだよ、夢持つっていうのは。勉強だって夢のためなら頑張れるっていうか……」
「夢なくて悪いっっ?」
「え……?」
「自分に立派な夢があるからって人の気も知らないでっ! あんたとは違って夢見つけたくても見つかんなくて悩んでる人もいるのっっ!」
 つい大声を出してしまい、私ははっとして口を押さえる。
 渡井君はぽかんとあっけにとられた表情で私を見ている。
 他の委員の子も、私のことを見ていた。
 かっと顔が熱くなった。
 渡井君が何か言おうとする前に、私はかばんをつかんで走って教室を出た。

 加奈ちゃんの入っている生活向上委員会は先に終わったらしく、加奈ちゃんは珍しく先に帰っていたため、私は一人北風の中を歩く。
 もうどうしようもなく虚しくて悲しかった。
 心の中は後悔でいっぱいだった。
(渡井君に八つ当たりするなんて、本当にバカだな)
 私の顔に自嘲の笑みが浮かぶ。
 何で自分がパニックになったのかはよくわかっていた。
 夢に向かって楽しそうに生きてる渡井君と、まともな夢を見つけられない自分。
 渡井君といると、楽しい反面、自分がどんどん惨めに思えてしょうがなくなる。
「夢のためなら勉強だって頑張れる」
 渡井君はそう言ったけど、夢を見つけられない人は一体どうしたらいいんだろう。 
 私も渡井君みたいに夢があったら勉強の事とか悩まなかっただろう。
 そうしたらこんな思いをせずに済んだのに。
(このままじゃ大切なものまで失なっちゃうよ……)
「那未ちゃん……?」
 もう家に着くというところで、聞きなれた声に名前を呼ばれはっと顔を上げると、腫れぼったい目をした加奈ちゃんが立っていた。
「加奈ちゃん……? どうしたの?」
「那未ちゃぁん……」
「ん? ……うわっっ!」
 加奈ちゃんにいきなり抱きつかれて私は声を上げてしまった。
「か、加奈ちゃん、ど、どうしたの!」
「那未ちゃん……、あたし、どうしたらいいんだろ……」
 そう言うと加奈ちゃんは私の手をつかんだままコンクリートに膝をついた。

「あのね……、あたし、今回のテスト二番だったの……」
 家の近所の児童公園。ブランコに座った加奈ちゃんは少しずつ話し始めた。
「今回すごくいい点で一番とれると思ってたからすっごくショックだった……」
 普段の明るい加奈ちゃんからは考えられない悲しげな表情。私はなぐさめることもできずに加奈ちゃんの話をただ聞いていた。
「あたし、友達たくさんいていいねってよく言われるけど、いっつも不安だった。本音を話せる友達なんてそんなにいないし、ほとんどは表面上仲良くしてるだけって感じだった。だって、友情なんて目に見えないんだもん。本当はみんなあたしの事嫌いなんじゃないかって、いつか一人になっちゃうんじゃないかって、ずっと思ってた……」
「加奈ちゃん……」
「だから、勉強は必死で頑張ったの! 何だかんだ言っても、テストは順位っていう目に見えるもので結果が出るから好きだった。一位とれたら自分の存在価値を見つけられた気がした。だから、今回二番とって、あたしって何なんだろうって思っちゃった……」
「加奈ちゃん……、ごめんね」
 知らなかった。加奈ちゃんがこんなにも悩んでいたなんて。
 頭が良くて、運動も出来て、友達も多くて。悩みなんてなさそうで羨ましいってずっと思ってた。
 そんな私の視線が加奈ちゃんを苦しめていたんだ。
 悩みのない人間なんてきっといないのに、私は自分だけが特別な試練を与えられたような顔で生きていたんだ。
「加奈ちゃん、本当にごめん……!」
 私はブランコの鎖を握った手に力をこめ、加奈ちゃんに心から謝った。
「いいの、那未ちゃんのせいじゃないんだから。あたし、那未ちゃんていう友達がいて本当に良かったって思うよ」
 加奈ちゃんはそう言って泣きはらした顔で笑った。
「あたし、那未ちゃんに出会えただけでも生きてて良かったって思う……」
「加奈ちゃん……」
 その言葉を聞いて私は、ただ嬉しいと思った。加奈ちゃんと一緒に生きたいと思った。
「加奈ちゃん、それはこっちのセリフだよ」
 私は笑顔で加奈ちゃんに言った。  

 次の日。
 私は加奈ちゃんに頼んでいつもより十五分早く登校した。そして、先に来ていた渡井君と誰もいない進路指導室にやってきた。
「渡井君、昨日はごめんね」
 私は渡井君に昨日取り乱してしまった事を謝った。
 あんなことをしてしまったあとで顔をあわすのはかなり気まずかったけど、言ってしまうと気が楽になった。
「いいよ、別に。俺のほうこそ平野の気持ち考えないで勝手なこと言っちゃったんだから」
「そんなことない! 私、渡井君の夢聞けてすごい嬉しかった」
「え……」
 渡井君の顔が赤くなる。
(ああ、もう、私、何てこと言っちゃったんだろう……)
 自分の言葉の意味に気づき、私の顔も赤くなる。
 気まずい沈黙。
 先に口を開いたのは渡井君だった。
「俺さ、あの後考えたんだけど」
 そう言うと渡井君は真顔になった。
「別にまだ夢なんかなくたっていいんじゃないかな。俺らまだ中学生だし。高校入ってから夢見つけたって遅くないと思うんだ。勉強だって何で必要かなんて俺もよくはわからないけど、やってるうちにわかってくるんじゃないかと思う。それまで勉強に疲れたら息抜きして、また頑張れるようになったら頑張ればいいんだ」
「渡井君……」
「ああもう、この話はこれで終わり! さっさと教室に戻らないと授業始まるぞ!」
 渡井君はそう言うと扉に向かった。真っ赤になった耳がちらっと見えた。
「ありがとう」
 私は渡井君の後ろ姿に小さく呟いた。

 そして、春。
 念願の瀬緒高校に私は入ることが出来た。もちろん加奈ちゃんも一緒だ。
 今日は入学式。
 あの時以来、私は渡井君の言葉を支えにして頑張ってきた。
 受験勉強中、何度もくじけそうになった。勉強する意味を何度も考えた。
 そして、わかった。
 勉強する意味を考えてもいいんだってことを。悩んでもいいんだってことを。
 時には投げ出してもいいんだってことを。逃げてもいいんだってことを。
 頑張ることさえ忘れなければいいんだってことを。
 私はまだ夢を見つけてない。でも、もう前みたいには焦らない。いつか、誰にも負けない夢を見つける事が出来ればそれでいい。
 私は、今日から三年間通う高校の校舎を見上げた。
 もしかしたら、ここで、夢が見つかるかもしれないと思いながら……。 
 


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