雨に濡れるアザレア


 静かに降る雨の中、色違いの傘をさして、顔を寄せ合って。
 甘さを味わった、アザレア色の記憶。
 自分の居場所も、お互いが「一番」なのも、ずっと変わらないと思っていた――。

 雨の公園は、子供たちの声もなく静か。塗装のはげた遊具を見ながら、私はその中を歩く。アイスグレーのワンピースを着て、買ったばかりの薄紫色の傘をさして。
 高さの違う3つの鉄棒は、あの頃必死によじ登っていた一番高いものでも、今は私の身長と変わらない。靴投げをしたブランコは、落ちて泣いたのが嘘のように、地面すれすれの低さ。
 懐かしくて、どこか変わった大切な場所。
 変わらずブランコ横の植え込みに咲くのは、赤紫色のツツジ。
「ごめん、ちょっと遅れた」
 水溜りを避けながら、階段を上ってやってきた佳子を振り向きながら、私は笑顔を作る。
「ほんの数分だから気にしないでいいよ。久しぶり」
 1年ちょっとぶりに会った佳子は、ジーンズに流行の花柄チュニックのカジュアルスタイル。オレンジのチェックの傘と合わせて、元気で大人っぽいイメージがした。
「本当に久しぶりだよね。理央、長期の休みも全然帰ってこないんだから」
 佳子はこの町の、この公園のすぐ近くに今も住みながら大学に通っている。私は大学入学と同時にこの町を離れて一人暮らしを始めた。
「で、いきなり帰ってきたと思ったら公園に呼び出すからびっくりしたよ。小さい頃、よくここで一緒に遊んだよね」
 佳子が公園内を見回しながら言う。あの頃、ここは私たちの一番の遊び場だった。テレビゲームよりもお人形遊びよりも、青空の下でこの狭い公園を自転車で走り回ったり、遊具を使って変な遊びを考える方が楽しかった。
 だけど、私が雨の季節にここに来たかった理由は、別にある。
「ねえ佳子、このツツジを覚えてる?」
 そう言いながら、しとしと降る雨に濡れる、植え込みの赤紫に目を向けた。

   * * *

 いつ、どうして始まったのか覚えていないけれど、雨が降ると、小学生だった私と佳子はこの公園に寄り道して、ツツジの蜜を吸った。甘さはほんの少しで、雨の味が強かったのを覚えている。
 この公園に咲くツツジはどれも赤紫色――いわゆるアザレア色だったから、私にとってのツツジのイメージはその色。そして、私にとっての雨は、アザレア色の花に滴っていた、透明な雫。
 雨の公園にひと気はあまりなくて。偶然色違いで買った水色と黄緑色のカエル柄の傘を寄せ合って、鮮やかな花に口をつける。私と佳子は二人だけの儀式をしている気分だった。一度だけでなく、何度も、何度も、新しい年になっても、私たちはその儀式を繰り返した。
 あの頃、登下校はいつも佳子と二人一緒で、遊ぶ約束の電話をするのもお互いが一番で、一番仲のいい友達を聞かれたら迷わずお互いの名前を答えた。
 私が安心できる世界には佳子が一番必要で、佳子はいつも一番そばにいてくれたから、佳子と二人ずっとこの場所で生きていけると思っていた。
 無邪気な甘さと鮮やかさの中で。

   * * *

 自分のやりたい勉強のできる大学に行くためにこの場所を離れてからも佳子とはメールのやり取りを続けていた。サークルの話、気になる先輩の話、膨大なレポートと試験で死にかけた話、友達と特大パフェを食べに行った話。
 だけど私は、大切な分だけ見えないうちにやってくる別れがずっと怖かった。たわいないメールでつながって、久しぶりに会っても気軽に話せる、そんな友情では足りなかった。お互いを迷わず「一番」と言える距離にいて安心したかった。
 いっそこれが恋なら、一生を縛る約束を一瞬でも出来たのに――。そんなことを思いながら、自分の思いがそういった形をとりえないこともわかっていた。

   * * *

「ずっと、一番好きだった。この赤紫色のツツジの花が」
 佳子が言葉を発する前に、私は赤紫色の花に触れながら言った。花びらを伝って大きな雫が私の手のひらに落ちる。透明な雨にアザレア色はよく映える。
「……そういえば小学生の頃、理央と二人でこの花食べたっけ」
「何それ。私の綺麗な思い出を変な思い出にしないでよ」
 そう言った私に佳子が笑顔を見せる。大人びても、空気をあったかくしてくれる瞳もほっぺたも変わっていなかった。きっと今、私も佳子に負けないくらい笑っている。思いは、ちゃんと繋がっていた。
「佳子、実はね、私、就職決まったんだ。向こうで頑張って仕事するよ」
 そうして私は就職の報告を兼ねてこっちに帰省したことを告げた。
 私の一番やりたい仕事は、こっちに帰ってきてはできなかった。佳子がこっちで仕事を見つけると聞いて、佳子の近くで仕事をして生きていけたらと思ったこともあった。
 けれど、佳子から届く日常は、私がいなくても明るくて。知らないうちに世界はどんどん広がっていて。
 私の届ける佳子のいない日常には、失敗や不安の中で出会った大切な人たちがいた。あの鮮やかさには変えられないけれど、穏やかに色づいた、私が生きていく世界だった。
 もうお互いだけを見て、「一番」とは言えない。だから、もう、この場所には戻らない。
「そっか、おめでとう! 実は私も第一志望の企業の最終まで行けたところなんだ。理央に負けないように絶対決めるから」
「私も、応援してるよ」
 私は心の中で「ばいばい」とつぶやきながら、薄紫色の傘をこつん、とオレンジ色の傘にぶつけた。

 人生で一番長く付き合ってきた、お互いを「一番」と言えた人の一番側で生きていけたら、きっと新しいものを探し続ける不安は消えるだろう。無邪気な甘さと鮮やかさとお互いだけで世界が終われば、それはまるで御伽噺のような幸せ。
 だけど私は、違う場所で違うものを目指し、自分を生きることしか選べないから。
 これからも不安と引き換えに、新しい強さと優しさに出会うだろう。そして距離と時間の中で、佳子と共有したアザレア色の記憶は薄まっていくだろう。それでも、繋がった思いがゼロにならない未来だけを願う――。




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